ことしを振り返り
大晦日の朝、社屋でひとりことし一年の自分を振り返っている。思い返すと、ことしは綺麗にクオーターに等分できるような気がする。
3月までは、社業が絶好調だったこともあり、巡航状態を維持するために適度にアクセルを踏み、一方で、将来へのあたらしい種まきをしていた。今考えるとあほみたいな話だが、当時はその程度しか考えていなかった。
4月から6月にかけて、いきなりのコロナ禍の直撃をうけ、どうするかを考えた。これまでの感染症(ペスト、スペイン風邪、SARS、MARSなど)パンデミックの推移、そして、その当時わかっていた新型コロナウイルスについての情報を集め、2回から4回程度の感染拡大と収束を繰返し、最短で半年、最長でも2年で終息あるいは人間社会と共存状態になる可能性が高いと予測。そのうえで、最悪の状態を想定してもだれ一人首を切ることなく会社が維持できるだけのキャッシュを調達したうえで、短期的には with コロナへの適応と、中期的には afterコロナに向けての戦略を策定し確実なところから着手した。今振り返ると、この当時のわたしの言動は何とも恥ずかしい限りであるが、一方で、多くの方の温かさを身をもって感じた時期だった。この当時、やっておいたからこそ今よく見えることも多い。
7月から9月にかけては、afterコロナの戦略を考えるうえで、ROIのような財務的な観点に加えて、マーケティング、ブランディングをどうしていくかを、これまで以上に、いや、正直に言うとはじめてまじめに考えた。はじめてのことなので、思考がドツボに嵌り、出口のないスパイラルに陥り、しばらく同じところをぐるぐる回っていた。このころから、壁打ちの相手を求めて社外の方と定期・不定期でオンラインのミーティングを持つようになった。
9月か10月ころだったか、自分の思考があまりに即物的、短絡的で、芸術的な観点や歴史性、あるいは哲学的な観点に欠けていることに気が付き、考えるレイヤーが突如少しだけ上がった。視界が広がり、ほんの少しだけ先が見えると同時に、足元の社内もよく見えるようになり、矢継ぎ早に社内にいろいろな指示を出した。気が付いた切っ掛けとして、思い当たることはいくつもあるが、中でも京都で開催されたICCサミットに参加し、そこで見聞きしたことが大きい。誘ってくれた大学時代からの友人には深く感謝している。
10月から12月まで、知識として足りないところの吸収と、半年考えてきたブランディングのアウトプットに向けて、急激に進めてきた。今まさに拡散しきった思考を収束に向けて、力をかけて密度を上げていっているところである。
例年以上に多くの方に支えられ、助けていただいき、人の温かさや優しさが身に沁みた一年だった。一方で、これまでより一段深く考えることを余儀なくされ、怠け者のわたしが、珍しく物事をかんがえることができた年でもあった。。コロナ禍で授業がなかったため、大学院生・大学生の長女と長男も帰省していた時期が長く、家族の絆も深まった年でもあった。
必死に駆け抜けた今年。支えてくれた多くの方、社員のみなさん、そして、家族にこころからの感謝の気持ちを伝えて一年を締めくくろう。
ありがとうございました。
そして、どうかみなさま、良いお年をお迎えください。