鉄道屋(ぽっぽや)
社長の鈴木成宗です。
このところ、生活が変わったことで、これまでやってこなかったことがいくつか習慣になりました。週末の家族のバーベキューもしかりですが、最近ちょっとはまっているのは映画ですかね。アマゾンプライムだのネットフリックスだのを使って、自宅のテレビで映画を見ることができるということを知り、ときおり見るようになりました。
SFからアクションまでいろいろと観ましたが、一番印象に残っているのは『鉄道屋(ぽっぽや)』です。見ている途中、何度も涙しました。ご存じの方も多いと思いますが、直木賞を受賞した浅田次郎の短編小説を高倉健主演で映画化されたものです。北海道、最果ての終着駅である幌舞駅で、不器用にもまっすぐに鉄道員として生きてきた定年間近の主人公の日常を淡々と描いています。
生き方として共感できるひともそうでない人もいることだと思います。わたし自身も共感はしますが、この生き方はできないだろうと思います。ただ、50を超えた今のわたしが感じた思いは、もし20代のわたしがこの映画を見ていたらそのとき感じたであろう想いとは大きく違うのだろうとも思います。
見終わって気が付いたのですが、見ているうちに、主演の高倉健さんの姿を、40年近く前に他界したわたしの祖父の姿にかぶせて見ていたようです。機械化を嫌い、体が動き続ける限り、餡(あん)を炊き続けた二軒茶屋餅19代目の祖父の後姿がどこかで高倉健さんに重なって見えていました。中学を卒業するまで実家でともに暮らしましたが、一度たりとも弱音を聞いたことはありませんでした。曲がったことが嫌いで、一途な人でした。そして、わたしが中学を卒業し、名古屋の高校へ進学した春に急性膵炎で他界しました。そのあっけない亡くなり方までこの映画の主人公そっくりでした。
私の人生の後半戦をどうするか。
いろいろと考えさせられました。