故 藤波孝生 元内閣官房長官 と 故 河中宏 元中川電化産業代表取締役社長
みなさん
おはようございます。
伊勢角屋麦酒社長の鈴木成宗です。
日頃のご愛顧に深く感謝申し上げます。
下野新工場に引っ越しをして、ちょうど一週間が過ぎました。
引っ越しの際に、私は、前社屋の社長室にあった二つのものを大切にこちらに持ってきました。
二つのうちのひとつは、この使い込んだカリモクの4脚の椅子です。
この椅子は、故藤波孝生 元内閣官房長官が事務所で使われていたものです。父が高校時代に藤波先生の一級先輩で非常に仲が良かったことから、23年前に私は藤波先生に仲人をしていただきました。結婚式の当日、式が始まる前、先生と二人で軽い食事をとりながら談笑していた際に、天下国家のことを話すために伊勢の若い人を集めて欲しいと言われたのがその後の先生との長いお付き合いの始まりでした。
「伊勢の若い人たちと天下国家の話がしたい。セイソウ君(先生はいつも私をこう呼んだ。)若い人を集めてくれないか。」
先生に何かを頼まれたのは後にも先にもこれっきりっでしたが、青の会と名付けられたその会は、二か月に一度藤波事務所に集まり、先生を囲んで本当に天下国家の話をしていました。国政選挙の際にこの青の会で応援したいと先生に申し出たら、初めて先生にしかられたのが、いかにも先生らしく、今でも強く印象に残っています。
「青の会は、選挙の後援団体ではない。若い人を選挙のドロドロに巻き込むために集めたんじゃないんだ。選挙の応援活動をしてはいかん。」
と。
藤波先生とはそういう人でした。
先生とのお付き合いの中で、日本という国の大きさと、戦後日本が抱える重さを教えていただきました。
先生が亡くなったとき、悲しみに暮れる私に奥様からお電話をいただきました。
「自宅に来てください。そして主人の遺品をお持ちください。」
と。そうして、いただいたのがこの4脚の椅子でした。以来、この椅子はずっと私の社長室にあります。
この椅子が来てから既に社長室は今回で3つ目になります。そのすべてにこの椅子たちが居てくれます。悩んだときこの椅子をみて、先生のあの優しい顔と声を思い出しながら藤波先生ならどうするだろうか。先生なら何というだろうかと考えています。
もう一つ、大切に持ってきたのがこのロールスロイスの絵です。この絵のロールスロイスは、故河中宏社長から15年ほど前にいただいたものです。
河中社長には私がビール事業を創業した1997年にはじめてお目にかかりました。事業が軌道にのらず苦悶する私に「鈴木さん。あなたは必ず成功する。今のあなたにとって必要なのは自分を過信することだ。」という言葉をかけてくれたのは、河中社長でした。その言葉に私はずい分と支えられてきました。
ある日、河中社長から君にツキを上げたいだからこの車に乗りなさいとお電話をいただきました。車種はロールスロイスと聞き、とてもそんな車には乗れませんといったところ、
「今の鈴木さんにこの車が2歩先の車だということはわかっている。しかし、二歩先を歩く人が何を考えて日々生きているかそろそろ考えるために今からこの車に乗りなさい。そして、一にも早くこの車に似合うようになりなさい。」
と、そう言ってこの車の譲ってくれました。
そのロールスロイスを絵にしていただき、いつも社長室掲げて、藤波先生と同じように、河中社長なら何と言うのだろうかと考えています。
伊勢角屋麦酒は、下野新工場が稼働し新たな時を刻み始めました。
私はこれからも、若いころに薫陶を受けたこの偉大なお二方の声を身近に感じながら、日々頑張っていこうと思います。
どうか今後共、よろしくお願いいたします。